STORY

羅刹と修羅 - 「MACHINE GUN GUILTY」の武闘派ふたり

 「MACHINE GUN GUILTY」の近未来世界で、同類の匂いに引かれあったふたりの武人。数奇な縁が奇妙な絆となり、次代の希望を繋いでいく。
※詳しくは本編ページ

キシュウ /男/55歳/181cm/weapon:日本刀(白鞘・大小)、トカレフ

 スカービースト創設メンバーの一人。別組織「プレッジハウンド」から追放されてスカービーストを作ったとされており、プレッジハウンドにおいて彼の名はほぼタブーの扱いだが、実際は彼に非があって追放されたのではなく、当時の幹部だった盟友マスチフの為に敢えて汚名を着た身である事を極々一部の人間だけが知っている。
 冗談好きでいい加減、軽薄な振る舞いを見せながら、血気に逸る若い構成員達を落ち着かせたり、局面を打開する助言をしたりと、さりげなく組織全体をまとめ上げている。また急にふいと居なくなっては(ふらふら出歩くのも日常茶飯事なので誰も不審がらない)諜報活動をしたり、別組織と取引したりもする。
 ジャパニーズヤクザの出で立ちで、総身に独特の刺青があり、その中にはプレッジハウンドの紋も含まれている。刺青の主なモチーフは石楠花(シャクナゲ、花言葉は「威厳・荘厳・危険」)。
 前線で戦う姿は滅多に見せないが、琉球空手と居合の達人。日本刀は師匠ザンナの形見であり、普段は白鞘だが大規模な戦闘に際しては拵に納める。
「あのね。俺のこと年寄りっていうなら尚更なんだが…道具が無いと何も出来ないようじゃ、この歳まで生き残ってやしねえんだよね」
キシュウ;紀州犬
キシュウ(全身) キシュウ(ラフ) キシュウ(成長過程) キシュウ(半身・幼少期) キシュウ(半身・幼少期) キシュウとザンナ(全身・青年期)

テン /男/23歳/169cm/skill:格闘術、気功

「…下がって下さい、僕の出番だ」
「馬鹿なのか、生身で銃に勝てる訳がないだろう。撃たせないように立ち回るだけだ」
 スカービースト戦闘員。精悍な肉体を持つ肉弾対人戦闘のエキスパート。
 武器や義肢など何らかの金属を身に着ける者が多い組織の中で、一片の金属も持たず生粋の肉体と身体感覚だけで行動する異色の戦闘員。強磁気環境や金属探知下、極端な狭所など、他の戦闘員が不利となる特殊な場合のみ出動する。その反面、機械には滅法弱く、携帯電話すら満足に扱えない。
 武道で培われた平常心で常に平静に状況を判断する。現実主義的で素っ気ない言動が目立つが、義理堅く信頼のおける男。強靭な精神力の持ち主だが、仇敵への憎しみに我を忘れないよう自分を律することを課題とし、もし冷静さを欠けば危うい一面がある。その怨恨から近代兵器そのものを嫌悪しており、機械嫌いもその一環である。
 低温・低酸素・飢餓等の危機的状況に際しては、呼吸法と気功の応用で自ら仮死状態に入る技術を持つ。その場合は西洋医学的な蘇生処置を施すと却って脳組織を傷つける為、自力で蘇生するのを待って欲しいと周囲に託けている。
テン(貂);イタチの仲間。雑食性だが肉も好んで食べる。横切ると縁起が悪い、キツネやタヌキ以上に化けるなどという伝承もある。またキテン(ホンドテン)の毛皮は最高級とされる
テン(全身)

時系列順エピソード(本編ページより抜粋、*印は加筆修正)

1. キシュウの出自

2. キシュウ、プレッジハウンドからスカービーストへ
 約20年前、大幅に規模を拡大したプレッジハウンドは統率力を失い、その内情は乱れに乱れていた。
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「マスチフの兄貴。グレイハウンドの兄貴がお呼びです」
「グレイが?なんだ、こんな時に…」
 部下の伝言を受け、階段を上がると幹部室の扉を開けるマスチフ。しかしグレイハウンドの姿は見当たらない。
「グレイ?居るんだろ?」
 部屋の奥へ進んだマスチフは、机の陰に何かを見つけた。それは見覚えのある靴、いやそれを履いた人間の足であった。
(グレイ…!?)
 その時、マスチフの背中に衝撃と激痛が走った。カラカラと薬莢が転がり、火薬の匂いが立ち込めた。
「……き、貴様…」
「前々から非効率だと思ってたんだよね。組織が大きくなったからこそ、頭(かしら)は一人でいい。トップダウンが一番だろ?」
 先程マスチフを呼んだその部下こそが、そこに横たわるグレイハウンドを撃ち、クーデターを目論む張本人であった。全てを理解したマスチフには、もう反撃の力は残されていなかった。膝を折り倒れ込んだマスチフの額を、反逆者の銃口が捉える。しかし次の瞬間、撃ち抜かれたのはその反逆者の方であった。
「…!?」
 彼は倒れ、その向こうから駆け寄ってきたのはキシュウだった。
「マスチフ!!」
「キシュウ…。
 …プレッジハウンドは、もう駄目だ。俺達の目指した仁義の集団とは正反対に、腐りきっちまった…
 ああ、どこで間違ったんだろうな。
 無念だ。無念だ…。」
 マスチフの見開いた目から、一筋の涙が零れた。
「…キシュウ。もう組織にも、俺にも、義理を通すことはない。お前だけは、清く…生きてくれ……」
 動きを止めたマスチフの手を、キシュウは固く固く握った。
 そこへ、銃声を聞いたキシュウの腹心トサが駆けつけた。
「兄貴、どうしました…
 !?な、何があったんです!?」
 一呼吸の後、キシュウはおそろしく静かに答えた。
「俺がやった。全員、俺が殺した」
「嘘です!キシュウの兄貴が、そんな事…」
「俺だっつったら、俺なんだよ」
 トサは思わず口をつぐんだ。キシュウの語調は穏やかだったが、その目は悪鬼羅刹のごとき怒気に満ちていた。
「プレッジハウンドは潰れない…裏切りを企てる不心得者も、そんな輩に負けるような幹部もいない。害悪は俺一人だ。仲間殺しは除名のち処刑、そうだな」
「………。
 …貴方は、もう、死にました」
「なに?」
「幹部キシュウはこの俺が処刑しました。プレッジハウンドの威厳を貶めるような者は、誰もいません…それでいいですね?」
「…。バカだね、お前も」
「さあ、『部外者』はさっさと消えて下さい」
 トサは顔を伏せ、キシュウに背を向けた。その声は微かに震えていた。
「ありがとよ。元気でな」
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 トサはキシュウを処刑したと組織に報告するが、ほどなくキシュウの生存が判明。トサは仕損じたとして降格処分を受け、キシュウはプレッジハウンドより永久追放の扱いとなる。その後、キシュウとトサの腐心も虚しくプレッジハウンドは分裂し、第2世代幹部による暗黒の時代を迎えることになる。
 キシュウは放浪の末スカービーストに身を寄せつつ、マスチフらと描いた理想のプレッジハウンドを再建する決意をし、画策を始める。
 トサはプレッジハウンド内で鳴りを潜め、極秘裏にキシュウに協力していた。荒んだプレッジハウンドの中で真に信ずるに足る二人の若者、アキタとシバに出会ったトサは、彼らに真実を伝え、キシュウの手足として命を懸ける盟友となる。
 なお、トサは古株の自分が怪しまれる事を危惧し、また本来人の上に立つ性分ではないため、アキタをリーダー格に据え、自分は目立たぬようサポートに徹している。

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(つくづく、不思議だ…
 当時プレッジハウンドを去り、逃亡中の身だった俺にとって、近付く者は全て敵だった。なのにどうして、あいつには不用心に話なんぞしちまったのか…)
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 瓦礫の中、斬り倒したゴロツキの前に座り込み、息を荒くするキシュウ。全身に傷を負い、その顔には失意と疲労が色濃く刻まれていた。
(これじゃ…今のままじゃ笑って死ねねえよ、お師匠…
 …まだ死に時じゃない、か)
「どうした、怪我をしたのか」
 場違いな台詞に振り返ると、逆光の中に大男が立っていた。
(思えばその時、すぐに斬り掛からなかったのが、そもそもどうかしてた…余程参ってたのか、それとも、そこが奴の人徳ってやつなのか)
「血色が良くないな。満足に食べてないんじゃあないか」
「…誰だい。知らねえ奴が、親戚みたいに」
「はっは、失礼した。俺の名はレオ…まあ、そんな事はどうだっていいじゃあないか。ひとまず休息が必要だろう」
 大男は朗らかに笑うと無警戒に歩み寄り、分厚い掌をキシュウに差し出した。
「来たまえよ。こんな日陰で生き延びようとする奴は、みな仲間だ。手を取り合えば、開ける活路もある」
(なんだ…?
 イカれてんのか、こいつ?
 こんな界隈で、会ったばかりの人間に…仲間だって?)
「………」
 しかしキシュウは、気がつくとその手を取っていた。
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(レオの周りには人が集まる。あいつは太陽だった。俺は厄介事を始末するだけの影、そしてヒッポもまた、地味な仕事をひたすらこなす影だった。
 あいつはどこから来て、何をしていた人間なのか…一度聞いてみた事はあるが、「まあ、そんな事はいいじゃないか」と笑うだけだった)

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3. キシュウとテンの出会い
 数年前、都会から離れた山間部にとある武道集団が居を構えていた。彼らは武術修行に全てを捧げる非営利組織で、地域への慈善活動によって僅かな返礼を得る他は自給自足の生活をしていた。テンは、その門前に捨てられた孤児であり、師と同胞達の愛情を受けて育てられた。
 しかしそこに、ある武力組織の魔の手が迫る。重火器や大量破壊兵器を多数有し、示威行為の矛先を探していた非道な組織が、近代兵器を持たない彼らを欲望のままに蹂躙した。
 山は焼け落ち、テンは一人生き残った。瀕死の師父に復讐を誓おうとしたテンは「憎むな」と諭されるが、気持ちの整理をつけられないまま街に彷徨い出る。
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 グリズリーとキシュウは、件の組織の動きを聞きつけて調査に出たところだった。数キロ先からも山火事が視認でき、街はざわめいていた。
「…オイ、何だあれ」
 遥か前方の人影に、キシュウはなにか異様なものを感じた。
 ひどく汚れた風体の小柄な人物。しかし浮浪者などではなかった。全身は血と煤に塗れ、表情は死人のよう。目だけは猛禽のごとく鋭く、ただならぬ憎悪を宿していた。
 修羅、と形容するに相応しかった。
「あの服装と煤汚れ… 火事…? もしや、襲われたという武道集団の生き残りでは」
「だろうな、どう見ても一般市民じゃねえや」
「消耗しているようだな。まだ子供ではないか。保護してやりたい所だが、話が通じる相手だろうか」
 若き修羅はふらりふらりと、こちらに近づいてくる。カンフー映画さながらの前時代的な出立ち。武器も持っていないように見える。キシュウはつい個人的な興味を抑えきれなくなった。
「コレ、ちょっくら預かってくんねえか」
 キシュウは銃と弾薬、ナイフなどの武器一式をグリズリーに渡した。
「どうした、何をする気だ」
「もしもだよ。あの坊やが『武道家』って絶滅危惧種だとしたら… 制圧より交渉より、効くものがあんのさ」
 心配するグリズリーを制し、キシュウはテンに向かって話しかけた。
「このご時世に身一つとはね。いいねえ、ちっとオジさんと遊ばないかい」
「……」
 彼は無言だったが、剥き出しの戦意が明白な答えを示していた。
「…俺は無いと踏んだが、もし飛び道具を出すようなら頼むぜ」
 キシュウはグリズリーにそう囁くと、テンに近付いていった。

 拳と拳、肌と肌で対峙する感触は幾年振りか。粟立つ高揚感を噛み殺し、薄笑いの仮面をまとう。
 警戒すべき距離に近づくや、
 テンの姿が、視界から消えた。
 しかし歴戦の経験則が、キシュウの身体を既に反応させていた。そういう場合に狙われるのは──
 地を舐めるようなテンの足払いは空を切り、飛び退ったキシュウの上体へ向けて切り返した。それも予測していたキシュウは躱し、近付いたテンの目元へ拳を見舞った。テンはその腕を取り、逆の手刀で喉元を狙う。
「!」
 手刀は弾き返され、テンは水月に一撃を受けた。ふっ、と息が漏れ、警戒したテンは大きく後退して体勢を整える。
 キシュウは口笛を鳴らし、小躍りするように向き直る。
 脱力、落下、慣性を利用し、予備動作を生じない“抜き”の動作。相手の攻撃を手繰り寄せ、打撃の威力を増す攻守一体のカウンター。一級品の技術だ。さっきの鳩尾も、生半可な鍛え方なら動けなくなるはずだ。
(素晴らしい。やはり、例の武道集団の一員に間違いない。
 この技を伝えた一門が、恐らくは失われてしまったのか…。
 …表社会で安穏とは生きられそうにない、疵の持ち主。スカービーストの同胞として迎え入れるには充分だ。このまま暴れて逮捕などされては、本人にとっても不本意だろう)
 離れて見守るグリズリーは警戒しながらも、ふたりの体術に魅了されていた。

 反撃を受けたテンは、わずかに正気を取り戻していた。
 単なる打撲とは違う、骨の髄まで響く武術の技。それこそが彼の日常だった、ほんの半日前までの日常だった。だからこそ本来の彼を呼び起こした。
(これは… 誰だ…
 僕は何をしている… なぜ闘っている? 僕は今までなにを…?
 …いや、闘っている以上、闘うしかない。今この場がすべてだ)
 亡者のようだったこの若者に冷静さが戻るのを、キシュウは感じ取った。
(目が、変わったな。さあて、何を見せてくれるのか)
 今の俺は、スカービーストだ。生きる者を庇護し、争いを鎮める立場だ。
 今やるべき事は、暴漢の鎮圧…この坊やの保護だ。闘うことでも殺傷することでもない。
 (気をつけねえと、忘れちまいそうだ…)
 生きるための、死なないための、手段であったはずの拳。銃と策謀の日々を経て、それはいつしか眩しく渇望するものとなっていた。

 数秒の間をおいて、新たな闘いが始まった。
 突き、蹴り、払い、崩しに関節、あらゆる攻撃の応酬。打ち打たれるほどに、テンの所作は正確さを増し多彩になっていく。我を忘れた亡者は、気高き闘士へと蘇りつつあった。

 テンは腎臓(キドニー)を狙い、死角から背中へ蹴りを入れたつもりだった。が、キシュウは身を捩り肘で受けた。
(防がれた…!?)
 その回転に乗って鋭い回し蹴りが、続いて逆足の後ろ回し蹴りがテンを襲う。リーチの長さではキシュウに分がある。テンは辛うじてその蹴りを捌き、一気に間合いを詰めると、中段に空いた僅かな隙に渾身の貼山靠(てんざんこう、肩からの体当たり。鉄山靠とも)を叩き込んだ。
 微かな呻き声と共にキシュウは大きく後退った。しかし、効いた訳ではなかった事にテンは愕然とする。
「おぉ~… その体格で、こんだけ重いか。イイね」
 顔を上げたキシュウは、締まりのない薄笑いでテンを見た。ダメージはおろか、焦りも緊迫も見えない。
(誘われた…?僕の力量を量る為に…。
 それにこいつ、疲れが見えない。親子ほど歳が離れているのに)
 ぞくりと鳥肌が立った。テンは深く息をつき集中する。
(ふうん、待つのか。あくまで善人とみえる)
 意志を取り戻したテンの戦術から、キシュウはその内面をも洞察していく。

(このタフさ、簡単には有効打を与えられない… 揺さぶっていく)
 テンは縦横無尽に動き回り、あらゆる方向から不意を突こうと試みる。キシュウの方は振り回されてスタミナを失わぬよう、最小限の動きで、しかし抜かりなくテンに対応していた。
(こいつは凄えや。オジさんにはちょっとできない軽業だね)
(それでも、崩せないか…!)
 高々と蹴り上げられた足をくぐる形で躱したテンは、バランスを取る為に振り下ろされたキシュウの右手を取った。そこは、致命的な攻撃を受ける事を想定していない、隙だった。その親指が僅かに捻られようとした瞬間、いけない方向だとキシュウは察した。一秒もしない内に走る痛みを、それによって相手が自分を制することを予測した。
 それまで、のらりくらりと殺気を隠していたキシュウに、牙を剥くような笑みと、獣の眼光が宿った。
 一瞬のうちに、キシュウは右肘を内転しつつ落として親指を振り解き、蹴りから折り返した足でテンの足首を踏み抜き、落とした右肘をテンの顎、少し左寄りから打ち込んだ。テンは間一髪左手で受けたが、その手ごと頭部を揺すられ、一時、判断を失った。

 死の香りがした。
 自分の学んだ闘い方には、決して存在しなかった状況が。
 寒気が、
 走るより速く、
 テンの身体は大地に引き倒され、その喉元にキシュウの貫手が迫った。

(何となく、わかった…
 僕が学んだのは武道。こいつは、武術の技ではあるが、殺人術だ…。優劣の問題じゃない、土俵が違う。武道は勝敗を決するもの、倒せば終わり。この男は、違う…殺されない為に立ち回り、倒したらすぐさま殺す、そういう世界)

「さあて、お前さんは何を求める人かな。強さか、金か、探しものか。あるいは…報復か」
 報復。
 その言葉にテンの目の色が変った。
(おっ?
 立つか… 今度は殺す気で来るか?)
 炎に包まれた故郷の光景がフラッシュバックする。鍛えた技を発揮する事も出来ず、ただ無為に殺されていった同胞達。気高き修練の結晶を、面白半分に踏み躙った者達。燃え滾る憎悪が爆発寸前まで昂ったその時、テンの脳裏に師の言葉が響いた。

「テンよ、憎むな…
 山は、空は、美しい。
 人体は、技は、美しい。
 絆は、矜持は美しい…
 美しきものを求めよ、真理を探せ。憎きを追うな、呑まれるな。
 おまえの時と研鑽は、己を滅ぼす為に費やされたのではない。
 天、よ。おまえは--」

 激情は溢れる涙へと姿を変え、テンの瞳には澄んだ光が戻った。
「僕は…
 …強く、なりたい……」
(許せるわけじゃない。けれど、憎まない。それでいいんですよね、師父…)

(訳あり、か… 皆そうだよな。俺もこいつぐらいの歳には既に色々あった。しかしこの坊や、短絡的じゃないな。そう出来るものじゃない)
「じゃあ、こんなところで雑に散るのは勿体ないんじゃないの」
 キシュウは突きつけた指をはらりと緩め、掌を返して差しのべた。テンは呆けたようにその手を見ていたが、涙を搾り切るように強く目を瞑ると、その手を取って起き上がった。
 キシュウはその姿に、いつかの自分を重ねた。
(レオよ…あんたが俺に声を掛けた理由、何となく分かったような気がするよ)

 戻ってきたキシュウ達を、グリズリーは感嘆の眼差しで迎えた。
「礼を言うよ、キシュウ。俺ではこうはいかなかった」
「や、たまたまだよ。まぁ結果オーライだよな」
(目的のために最善策を講じたってより、正直なところ… 感傷、かな。だってステゴロ勝負なんてさ、懐かしくなっちまった)

レオ「ひとりの太陽、ふたりの影」を参照

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 キシュウに敗北を感じたテンはスカービーストの一員となり、新たな研鑽を始める。
(憎しみを克服し、師父の示してくれた道を究める。簡単ではない、でもきっと正しい道だ)

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4. キシュウという侠
 三人衆がキシュウの為に動いている事がプレッジハウンドに知れ、一部の構成員が粛清に乗り出す。そこへキシュウが現れ、責任は自分にあるので三人は解放してくれと願い出る。しかしその交渉を無視し、道義に外れた卑劣なやり口で三人を攻撃したプレッジハウンドの構成員スパニエルに、キシュウは怒り宣戦布告する。
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「プレッジハウンド、ボルゾイ組のスパニエルだ。てめーがあの初代幹部だって?もうジジイじゃねえか!早いとこ棺桶に入った方がよさそうだな、あ?手伝ってやろうか」
 下卑た笑いを浮かべながら、キシュウに銃を向け挑発するスパニエル。
「五発か」
 スパニエルの残弾数を見抜いたキシュウは、矢庭に上半身の服を脱ぎ捨てた。日頃の態度からは想像もつかない鍛え上げられた肉体に、総刺青が顕となった。
「いいぜ、撃ちな。
 逃げも隠れもしねえ、防弾チョッキもねえ。
 撃てよ。その五発で俺が殺せると思うならな」
 不敵に笑うキシュウの気迫に竦み上がるスパニエル。
「どうした、こねえならこっちからいくぜ」
 一振りの脇差だけを手に、泰然と歩み出すキシュウ。
「う…、うわあ!」
 一発。
 一発目はキシュウの脇腹の肉を削ぎ取った。だがキシュウはニヤリと笑い、更に歩を進める。
「ひっ…」
 二発。
 三発。
 怯えたスパニエルの弾丸は、キシュウの横を掠めるばかり。
「オイオイ勿体ねえな。的が近くへ寄ってくるのに、どうして外しちまうんだい」
 四発。
 左肩に衝撃を受け、立ち止まるキシュウ。しかし何秒と待たず歩き出す。スパニエルとの距離は、刀の間合いに迫ろうとしていた。
「し…ししし、死ねえ!」
 五発。
 最後の弾丸はキシュウの右胸を貫通し、背中の刺青から血が流れはじめた。
「キ、キシュウさん!!」
 たまらず悲痛な声をあげるシバ。トサとアキタも歯を食いしばり、縋るように見守る。
 立ち尽くすキシュウ。
 がたがたと震えながら、引き金を引き続けるスパニエル。弾の切れた銃はがちがちと鈍い音を立てる。その目の前で、キシュウはゆっくりと脇差を持ち上げた。
「…どうした…まだ、立ってるぜ。
 俺の勝ちだな」
 次の瞬間白刃きらめき、ややあってスパニエルの首は地に落ちた。
 慄きどよめくプレッジハウンドの面々を見据え、キシュウは返り血を浴びながら、どっかと胡座をかいた。
「さあて…まだやるやつァ、いるかい」
 思わず後退る構成員達。その中から一人の男が歩み出た。プレッジハウンド幹部補佐のドーベルマンである。
「御見事だ。部下がつまらねえ真似をした、非礼を詫びよう。あんたに敬意を表して、金輪際あんた達に手出しはさせねえ」
「そいつはありがたいや」
「兄貴、どうしてですか!今ならまとめて…」
 横からそう囁いた部下は、ドーベルマンの拳に頬骨を粉砕され無様に転がった。
「ふざけんじゃねえ!この大立ち回りを見て何も思わねえってのか。てめえそれでも、盃に誓った同志か!姑息な虫ケラに成り下がるなら、出ていきやがれ!!」
「おほォ、云うじゃない」
「そいつらを放してやれ。いいなお前ら、これ以上恥を晒そうってんなら俺が相手だ」
(…嬉しいねえ。こんな奴がいるんなら、ここもまだ…捨てたもんじゃない)
「キシュウさーん!!」
 解放されて駆け寄る三人を見ると、キシュウから先程までの鬼の形相は忽ち消え失せ、いつものだらしない笑みを浮かべた。
「キシュウさん、しっかりして下さい!キシュウさんッ!!」
「おーお、痛ってえな…はは、もう立てやしねえ…。」
 緊張を解いたキシュウの顔色はみるみる青ざめ、脂汗が吹き出していた。卒倒する前に自ら座り込んで啖呵を切ったのも、捨て身のハッタリだった。
「キシュウさん…すいません、俺達のために…!」
 キシュウの手を握りながら、シバは大粒の涙を流していた。
「よせよせ、安いもんだよ…
 武器や兵力は金で買える。だが人を本気で動かしたきゃ、それだけじゃ駄目さね。
 …アキタも泣くな。お前が泣いちゃ、弟分が安心できねえよ」
 止血の応急処置をするアキタは、傍目にはわからないが、必死に動揺を隠そうと努めていた。それを見抜かれ、さらに気遣われた事に、堪えていた涙が零れ落ちた。
「…はい…ッ。
 キシュウさん…何としてでも、助けてみせます!」
「…それじゃ、俺のホームに運んでくれねえか。いい医者がいるんだ…サイガってんだ、口は悪いが腕はいい。生きてさえいりゃ、きっと何とかしてくれる…」

 その様子を横目に見ながら、部下を撤収させるドーベルマンは疑問を感じていた。
(キシュウという男…不義を働き組織に見捨てられたと聞いていたが…あれほどの侠(おとこ)が?
 おかしい…何かが引っかかる)
--数年後、大規模な抗争を経て幹部となったドーベルマンは、プレッジハウンドからの謹慎を解き、キシュウとスカービーストに全面協力の約定を結ぶ。またこの件で部下の蛮行を恥じた彼は構成員達を一から鍛え直し、後の最終決戦でキシュウの許に駆け付けた時には、全ての構成員が任侠の志を備えた勇士となっていた。
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 スカービーストの本部へ向かう一行。トサに抱き抱えられたキシュウの指示で、街外れの廃ビルの中を駆け抜けてゆく。その間にもキシュウの声は力を失っていく。
「…次の階段を…下りて、右へ…そう、あの…突き当たり──」
 ごぼりと、嫌な音を聞いた、気がした。
「キシュウさん…?キシュウさん!?」
 返事はなかった。キシュウの口からは血が流れ出し、両の目は焦点を失い、さっきまでトサに掴まっていた手は力なく垂れていた。
 焦るシバを宥めつつ、一行は言われた突き当たりまで辿り着くと、すぐ側に明かりのついたドアがあった。辺りには消毒の匂いが漂い、機械音が微かに漏れ聞こえていた。アキタは用心しつつドアを開けた。
「医者は、サイガという医者はいるか!?」
「なんだ。ここは部外者は…」
 立ち上がったサイガは一行を見て顔色を変える。
「キシュウ…!?」
 銃創複数、出血多量、呼吸微弱、意識レベル3。一目でそこまで見抜いたサイガは突然トサに叫んだ。
「そこへ運べッ!!」
「はッ、はい!」
 見ず知らずの優男の得体の知れない迫力に押され、トサはサイガが指差した特殊ストレッチャーへキシュウを横たえる。
「緊急オペの準備を!気道確保に酸素、人工心肺もだ。バイタルと透視の用意はあるな。輸血はO/+、弾の確認急げ」
 その間にも恐ろしい手際で準備を進めるサイガ。すっかり気圧されるトサ達を尻目に、助手のギニーがストレッチャーを奥へ運ぶと、手術着を用意しながらサイガは淡白に告げる。
「患者は預かった、最善は尽くす。貴様らはなんだ、知らんが外へ出ろ。不衛生だ」
(うわぁ、たしかに口悪いよこの人!)
(思ったのと違うな…)
 軽くショックを受けるシバとトサ。アキタも呆気に取られていたが、間もなく我に返るとサイガの前に勢いよく土下座した。
 シバとトサは思わず顔を見合せたが、すぐさまアキタの両脇に並んだ。
「お願いします!!
 兄貴…キシュウさんを、必ず助けて下さい!!
 お願いします!!!」
 自然と声を合わせ、懸命に叫ぶ三人。
 少し驚いた表情でそれを見ていたサイガは、淡々と言った。
「…何を喚こうが、オレのやる事は変わらない」
「…!」
 悲痛な表情で顔を上げるアキタ。
「言ったはずだ、最善は尽くすと。死んでなきゃあ、生き返してやる」
 その言葉と冷静な目は冷たいようでいて、確たる信念を感じさせた。大丈夫、信じていい…キシュウさんが託した男だ。アキタは不安を押し殺し、手術室へ入っていくサイガを見守った。

 手術を進めながらサイガは珍しく物思う。
(こいつ…只の遊び人じゃないとは思っていたが。何を背負っているというのか…)
(誰が何を言おうが変わらない…やれる事は全てやる、それで死んだらそこまでだ。元々感情論の立ち入る余地は無い。
 だが…あんな奴らがいてくれるなら、きっと悪くない)

 サイガに追い出されたアキタ、シバ、トサの三人はなすすべなく医務室そばの廊下に座り込んでいた。
『…そこの三人』
 突然声が響き、三人は瞬時に警戒態勢を取った。見える範囲に人影はない。声のした辺りに目を凝らすと、医務室正面の天井に防犯カメラらしき物があった。
『まずは、キシュウを運んでくれた礼を言う。貴殿らが何者か、何ゆえ其処に留まるのか、聞かせてはもらえまいか』
 声の出処はその防犯カメラに間違いなさそうだった。アキタがシバとトサに目配せをすると、三人は無言でカメラに背を向けて立ち、服の背を捲り上げた。
『…!
 プレッジハウンド…そうか、そういう事か』
 声の主はグリズリーである。カメラの映像を通し、三人の背にプレッジハウンドの紋を認めたグリズリーは、キシュウの話していた腹心達が彼らであると悟った。
『…貴殿らの事は聞いている。粗末だが寝床と食事くらいは用意しよう』
 少し離れたドアが開き、レッキスが出てきて手招きをした。
「…有難うございます、しかしお構いなく。ここで待たせて頂きます」
 敵地とまでは言わないまでも、他組織に身を任せ、供されたものを口にしようというほど、不用心な彼らではなかった。
『そうか…このカメラは常に機能している。何かあれば言ってくれ』

 何時間経ったろうか、シバは胡座のまま眠りこけ、アキタもうつらうつらとし始めた頃、医務室の扉が乱暴に開き、三人は慌てて身構えた。部屋から顔を出したのはサイガだった。
「次だ。怪我をしてる奴は来い」
 サイガの目元には若干の疲れが見えたが、恐れ知らずの高圧的な態度は揺るがなかった。
「いえ…それより、キシュウさんは」
「死んじゃいない」
「……!」
 アキタは安堵から一瞬、仲間内の顔に戻りかけたが、それを隠すように深く頭を下げた。
「…ありがとう…ございます…!!」
「だから、怪我のある奴は来い」
「…お心遣いは有難いですが、結構です。我々は」
 どうにか気を落ち着けて返答するアキタを途中で遮り、サイガは殺気じみた目で睨んだ。
「結構?誰が貴様らに選択肢をやった。来いと言ってるんだ。三度目だ」
(ひっ)
(なんだこの人!?)
(親切なのか、なんなのか…)
 三人の戦士はこの生白い医者にすっかり迫力負けし、すごすごと医務室に入っていった。
--------
「いくら何でも、まだ麻酔が…」
 しかし、計器の数値を見たサイガは言葉を止めた。ちょうどその時、キシュウはうっすらと目を開けた。
「キ…キシュウさん!!」
 駆け寄った三人、そしてサイガに視線を泳がせ、酸素マスクの下からキシュウはぼんやりと呟いた。
「いよ~ォ…無事か。なによりだ…」
 最後に見たキシュウの顔は死人同然だった。かつてそんなキシュウを見た事はなかった。それがいつものにやけ顔に戻り、気が抜けたアキタは思わずベッドに崩れかかった。
「よかった、キシュウさん…
 …本当に、ありがとうございます…」
「オレは現実的に可能な処置をしただけだ。生き延びたのはこいつがゴキブリより頑丈だからだ」
「ゴキ…」
 不必要に口汚いサイガにシバは眉をひそめる。
「……あんがとな、坊(ぼん)…」
 まだ意識が混濁しているのだろう、キシュウは随分昔の呼び方をこぼした。当時から毛嫌いしていたその呼称にサイガは血走った目で睨み返すが、キシュウはそのまま眠りに就いた。
「まだ6時間は起きないはずだが…どうしてこうデタラメなんだ、こいつは」
 サイガは毒づくと、足早に処置室へと去っていった。
--------
 手術から丸一日、キシュウはいつもの軽口を叩けるまでに回復していた。
「この被弾で?立って歩いて?ひとり斬ったと?…脳検査も必要だったか」
「ちょっ、嘘じゃないって~。もー信用ないんだから、サッちゃんてば」
「…次の包帯交換の時、ハバネロでも巻き込んでやろうか」
「いやあああ!」
 キシュウに付き添って一夜を過ごした三人は、彼の“表の顔”の間抜け加減にすっかり毒気を抜かれていた。
(…ちょっと、本当に大丈夫なんですか、キシュウさん)
「だーいじょぶ、だいじょぶ。いい奴らだよ…まだ若いが、お前らの志とはきっと通じる所がある。…残念ながら、今のプレッジハウンドよりはな」
--------
「起きているか、キシュウ」
 太い声が響き、グリズリーがのそりと病室の入口をくぐった。
「よーう、おかげさんで」
「話は聞いた。命があってなによりだが…いくら何でも無謀が過ぎる。下手をすれば、いや上手くすればか、一発目で即死だぞ」
「いやいや、それが出来そうな奴なら流石にふっかけねえよ。エモノもお粗末だったしな」
「それにしたって、助からん可能性は充分にあった」
「そん時ゃそん時さ。あいつらに根性見せなきゃ、しゃしゃり出た意味がねえからよ」
「そんな事をせずとも、あの三人には信望厚いではないか」
「いんや、あのチンピラ共の方さ。今のあいつら、銃さえ出せば相手がビビると思ってやがる…もっとコエーもんを見た事がないんだろうね。じゃあ見せてやろうと思ったわけ」
 キシュウは軽く息をつき、枕に深く頭を沈めた。
「力で脅そうって輩は、裏を返せば力に屈するわけだ。それじゃ何も成せやしねえ…」
(圧倒的な物量の不利をひっくり返して、大望を果たそうなんて気概は…な)

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5. テンの葛藤
 テンはキシュウに呼び出され、指定の部屋に向かっていた。だが扉を前にして、常ならぬ気配に足を止めた。
 緊張と恐怖を漂わす何者かが、キシュウ以外に待っている。
 それは何者か、キシュウは何を企んでいるのか… 数瞬考えたが、入るより他に術はない。騙し討たれる理由もない、とテンは扉を開けた。
「よう」
 果たして室内には、だらしなく座ったキシュウと、椅子に拘束された戦闘員らしき男がひとり。口を塞がれたその男は、入ってきたテンを見て怯えた。
「……なんですか」
「捕虜なんだが、お前さんに会わせようと思ってな。そいつ、例の組織の残党だ。
 ──そうだ、お前さんの同胞の仇だ」
 ちりり、と、空気が焼け焦げるような気迫が立ち昇った。男は拘束具の下から悲鳴を漏らし、哀願の表情で身を捩る。
「生殺与奪の権をお前にやる。さあ、どうする」
 テンの瞳に、あの日の憤怒が燃え盛る。
 キシュウも出会った日の彼を、そしてキシュウ自身の幼き日を思い起こしていた。
(お前さんにゃ、なんで自分を重ねちまうんだろうな…
 試そうってんじゃない。ただみすみす会わせないでおくのは忍びねえ、そう思っただけなんだが…)
 長い沈黙だった。部屋中が燃え上がろうかという怒気をはらみ、テンは唇を開いた。
「……彼等の志が間違っていただけだ。各人の命に、咎はない」
 言葉とは裏腹にその声は震え、握り締めた拳には血が滲んでいた。
(なんて坊やだい… ご立派だよ、高潔だ。俺なんかとは違う、まことの武人だ。こいつもまた、スカービーストの宝だ)
「敵は仇じゃなく、己の復讐心…か。それなら」
 キシュウは立ち上がると、テンの頭を胸に抱え込み、わしゃわしゃと撫で回した。
「よく頑張った。お前の勝ちだ」
「…………、  あ、  、、あ゛ 」
 臓腑の底から、激情は聲となって漏れ出し、テンは身を震わせて啼泣した。
 他人に触れられる事を許さぬ孤高の戦士が、無防備に身を預け、幼子のように泣き続けた。
 修羅道に堕ちることは容易い。しかし仇敵を鏖にした所で、彼は自分を誇れなかったろう。彼の師はそれを知り、最期の教えを授けたに違いない。
 赦しという最も過酷な選択こそが、自分自身を許容し、重い十字架を下ろす唯一の道だったのだ。

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6. キシュウ、最後の戦へ
 ドミナント・エイプとの決戦に出立するキシュウはグリズリーの許へ挨拶に訪れた。彼が決戦の事を告げた相手は、ディンゴとグリズリーの2人のみ。そして両者ともに、加勢せず他の者にも知らせない事を約束させた。
「………征くのか」
「おうよ。わかってるよな?」
「無論、我らは我らの努めを果たす。だが若い連中が知ったら、無断で加勢に向かうやも…」
「あー、そっちは念を押してきたよ」
「……そうか。
 こちらの事は心配するな。レオの遺志は儂が継ぐ」
「うーーん、それはちっと違う気がすんだよね」
「?」
「死んだ奴の為じゃなく、生きる奴の為に動けよ。あいつは、レオは、自分自身を崇め立てて欲しかった訳じゃねえだろうよ」
「……そうか。そうだな…。」
 グリズリーはのそりと立ち上がり、キシュウの手をしっかと握った。
「……世話になった。何一つ恩を返せぬ己が恨めしい」
「よせやい、俺は好きにやっただけだよ。それにもう充分なものをもらったさ」
 キシュウはその手をするりと抜くと歩きだし、すれ違いざま彼の肩をぽんと叩いた。
「楽しかったぜ。元気でな」
「………ああ。」
キシュウは軽く手を振ると、振り返りもせず出て行った。グリズリーはしばし、そのままじっと立っていた。
(『生きて戻れよ』
 『待っているぞ』
 ……言えなかった。叶わぬ約束になる、そんな気がした…いかんな、こんな弱気では)

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 グリズリーに別れを告げ、アジトの出口へ向かうキシュウは、ふと気配を感じて振り返った。正確には防御の構えを取った。そこに飛び込んできたのは、テンの鋭い蹴りであった。
 格闘術においてキシュウを強者と認めるテンは、宣告するとしないとに関わらず、これまで何度も彼に挑んできた。キシュウもその相手を楽しんでいた。手合わせはいつになく熱を帯び、肌を打つ音は次第に骨を捉えて重くなり、二人の眼光は鋭さを増していった。ついに、テンはキシュウの突きを捌ききれずに崩れ落ちた。
「ん~惜しかったねぇ。どうしたの、そんなに熱くなっちゃって。久しぶりじゃん」
 気色の悪い声色でふざけるキシュウに、テンは乱れた息のまま真顔で返す。
「戻らないつもりですか」
 その言葉に、キシュウのにやけ笑いは途切れた。
 武人の嗅覚が、キシュウの隠した覚悟を嗅ぎ取ったのだろう。鋭いな、とキシュウは再び口元を緩めた。
「…だとしたら?」
「それは困る。貴方からは、まだ学ぶ事がある」
 キシュウの笑みは再び消えた。
 研鑽の相手を、目指す頂を、失うとはどういうことか、自分はよく知っていた。
 それは遠い昔に刻まれた忘れえぬ痛みだった。
(そうか…俺はいつの間にか、誰かのそっち側に…
 笑っちまうよ、お師匠。俺はあんたに名前も貰えず仕舞いだったのに)
「お前さんなら、一人でも高みを目指せるさ」
 その答えの残酷さも、ようく知っていた。
「…でも時にゃ、麓に下りてみても良いんだぜ」
「麓…?」
「目指すものは違っても、共に歩んでくれる奴らはいる。視野さえ広げれば、お前は独りじゃない」
「……」
 テンを引き起こすと、キシュウは踵を返そうとした。
「キシュウ、
 ……さん」
(さん?) そんな呼ばれ方をした事があったっけ。キシュウは足を止め、ゆるりと振り返った。
 テンに似合わぬ弱気な瞳だった。
 迷っていた。
 死地に赴く決意の者を、止められるはずもない。なのに何を言おうと呼び留めたのか、テン自身にもわからなかった。
(恩義はある。
 技量は認める。
 それ以外は何もない。ないはずだ…
 なのに何故、胸がざわめく… 僕は何を……?)

とん。

 キシュウの拳が、テンの胸を軽く突いた。
 無我の突きだった。
 雲のように。
 風のように。
 そしてキシュウは空のように、晴れやかな微笑を湛えていた。
「長生きしろよ」


 どれほどの時が経ったろうか。
 ひとり、残されたテンは、静かに膝を折り座り込んだ。
(僕は……
 もっと、あなたを知りたかった…
 強さとは、闘いとは何か。何を思い、どう生きたのか…)
 胸を押さえるテンの瞳に、とめどなく涙が溢れていた。
 どんな打撃よりも強く、どんな傷よりも深く、胸を貫いた美しきもの。
(すべてが、あの拳に宿っていた。
 忘れない…きっと生涯、忘れはしない……)

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 「んー嫌いなんだよねこういうの、動きにくくってさ」
 ドミナント・エイプに攻め込む決戦の日。プレッジハウンドの皆が防弾ベストを装備する中、キシュウは子供のように渋っていた。
「駄目です! ワガママ言ってる場合ですか。早々に死なれちゃあ困るんです」
 そのキシュウに防弾ベストを突きつけ、アキタがぴしゃりと窘めた。折り目正しいこの男がキシュウに対して、上から物を言うような態度は初めてだった。
 大決戦に臨む覚悟と、キシュウを死なせたくない正直な思いが、その瞳を熱く燃やしていた。
 アキタを次代のリーダー格として高く買いながらも、少々押しに欠けると常々思っていたキシュウは、つい無防備に顔を綻ばせた。
(いけねぇ… 感傷なんざ無用だっての。ここからは一瞬の迷いが生死を分ける、解ってる筈なのにな)
「うんうん、アキちゃんも貫禄が出てきたねぇ」
「冗談はいいですから!」
 ベストを羽織らせようとして、触れたキシュウの肩の感触にアキタははっとした。
 トサやドーベルマンのような巨躯に比べれば、キシュウはそこまで大柄な体格ではない。着衣の上からは痩せ型に見えるほどだ。しかし、そのシャツに隠された筋肉の頑健さにアキタは慄いた。
 生身の人間なのか、これが。
 編み上げられたザイルのような。
 稽古を付けてもらった数ヶ月前より、更に絞り込まれている。着けようとしている防弾ベストよりも、遥かに強靭に感じられた。
(これが、この人の覚悟……。
 鬼神と謳われた伝説の初代幹部… この人と共に闘えるなら、何も恐れるものはない)
 これが武者震いというものか。アキタはかつてない昂りを鎮めるように、口を真一文字に結んで支度を続けた。

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7. いつか、笑って死ねるまで
 数年後、生まれ変わったプレッジハウンドがキシュウの許に馳せ参じ、仇敵との最終決戦が行われる。
 今のプレッジハウンドは正に、キシュウと彼の盟友が描いた理想の体現であった。その姿、そしてそれを実現したのがあのドーベルマンであった事にキシュウは深く感じ入り、男冥利に尽きると悦んで参戦する。その働きは正に鬼神の如くであったと、後にドーベルマンは語る。
(俺が、俺達が見た夢はここに叶った…。見てるかマスチフ、お前の無念を晴らせる日が遂に来た。最高の夜だ)

──その数日前、キシュウはディンゴを極秘に呼び出していた。
「俺の古巣…プレッジハウンドが戦支度をしてるのは勘付いてるよな」
「ええ。何があるというんです」
 キシュウは微かに修羅の眼を覗かせ、にやりと笑った。
「ドミナントエイプをツブす」
「な…!?」
「あの連中を良く思う奴は居ねえだろうが、中でも俺達にとっちゃ不倶戴天の敵でな。昔っから、血で血を洗う争いをずっと続けてきた…文字通り犬(hound)猿(ape)の仲ってヤツさ。何十年待ったか、その決着を付ける時が遂に来たってわけだ」
「あれは一小国にも匹敵する巨大組織…いくら何でもムチャですよ!」
「そう言うなよ、俺らもそこそこデカくなったんだぜ。それでよ、お前さんを見込んで頼みたいんだが」
「…はい」
「スカービーストは動くな。絶対にだ。俺が噛んでる事も知らせるな」
「なぜです!?あなたの為とあらば、オレ達はいつでも…!」
「ダメだ。ここだけは、そういう不毛な潰し合いに手を出すな」
「…!?」
「復讐が復讐を呼び、潰しては潰され…はぐれ者どもがやる事はどこも同じだ。だけど、ここだけは違う。スカービーストは“調停者”になるんだ。
 ──でかい戦になる。お前さん達はそこに加わるんじゃなく、見届けるんだ。その後に、俺達みたいな連中が生きられる道を創るんだよ」

--------
(…やべえな、痛くねえわ…。今度ばっかりは助からねえな。
 手も足もどこに付いてんだか、どうやって動いてんだかわかんねえ…
 でも、もうちっとだけ…最後の仕事を終えるまで、もってくれよな。
 …?)
 その時、背負ったシバの体が急に軽くなった気がして、キシュウは横を見やった。
「……なんだよ、お前かよ……。」
 キシュウは自分に肩を貸す、亡き盟友マスチフの姿を見た。その顔は穏やかに微笑み、礼でも言っているようだった。
「…ちょうどいいや。こいつを届けたら、俺も連れてってくれよ」
--------

 その戦いが終結した頃、スカービースト医務室の扉を叩く者があった。サイガが扉を開けると、そこには血染めのキシュウがシバを抱えて立っていた。
「……よ、ただいま」
「またか。あんたはいつも無茶を」
「今日は俺じゃねえ。こいつを頼む」
 意識を失ったシバをサイガに引き渡すキシュウ。
「…俺じゃないって、あんたは」
 言いかけて、サイガは言葉を失った。
 キシュウは、いつものように笑ったまま音もなくくずおれ、冷たい床にその身を預けた。
 その顔色、体勢と反応、全ては骸のそれであった。
 どんな救命処置も徒労に終わるであろうことが、他ならぬサイガの目には判ってしまった。
「……勝手な時に来て、オレに出来ない事を置いていきやがって…。
 ふざけるなよ、どいつもこいつも」
 己が命を捨ててサイガを生かしたレオの姿が脳裏をよぎる。
「ふざけるなよ…」

 数時間後、目を覚ましたシバは病室にいた。傍に座っていたのはサイガだった。
「……アキ兄…トサ兄… …キシュウさん…
 キシュウさんは!?」
 意識がはっきりしてくると、シバは飛び起きてサイガに詰め寄った。目を逸らさずじっと見返すサイガの沈黙に、シバはキシュウの死を悟る。
「……そんな…
 …俺を運んでくれたの、キシュウさんだろ!?なんで、なんで助けてくんなかったんだよゥ!!」
 サイガの胸倉を掴み上げ、筋違いとは知りながらも感情を抑えられないシバ。
「お前を引き渡した瞬間、こと切れていた…」
「……!!」
「致命傷が複数あった。歩くどころか意識がある事さえ、ましてや人一人運ぶなど到底ありえない状態だった。
 いつぞやもそんな具合だったな。全くムチャクチャな奴だ」
「………」
サイガを掴むシバの腕は震え、振り上げた拳は次第に下りていった。
「どうした、殴らないのか。
 オレは人を庇うようなたちじゃないが、奴の代わりに殴られてやるくらいは吝かじゃない」
 シバは力なくサイガを放し、崩れるように跪いた。その足元に二滴、三滴と涙が落ち、シバは地に手をついて慟哭した。
 サイガは柄にもなく、いつまでも、シバの傍に立っていた。

 その頃、キシュウの遺した情報端末上には情報ファイル群が現れていた。そこには様々な組織や政府勢力に関して、キシュウがこれまでに集めた有用な情報がぎっしりと収められていた。それを発見したディンゴは内容を確認しながら、改めて深い悲しみに沈んでいた。
(なんて、大きな存在だったことか…
 それでいてオレ達が頼り過ぎないよう、適度な距離を置いてくれていた。
 オレもあの人のようにならなければ…
 …いや、違うのか?)
 その時、ディンゴの中でキシュウの笑う声がした。
『それだよ、それがいけねえや。お前さんは真面目すぎんだよ。好きに行きな、心配ない。お前の選んだ事なら、仲間は必ずついてくるさ』
(…そうか、オレに必要なのは、誰かの代わりになる事じゃない。オレのやり方…自分自身を信じることか…ありがとう、キシュウさん)
 ふとディンゴは手を止めた。ファイルの最後に、短い一文が添えられていた。
「ディンゴよ。迷ったら、生きる方を選べよ」
(あなたが…
 あなたが、それを言いますか…)
 両眼を失った身体でなければ、涙を流せたろうか。ディンゴは肩を震わせ、画面の前から動けずにいた。

 数日後、決戦を生き残ったアキタとトサがスカービーストを訪れシバと再会する。
 サイガはキシュウの遺体に一通りの保護処理を施し、彼等に引き渡した。
「お前達で弔ってやるんだな。そいつの顔は、もう見たくない」
「何を…」
「アキ兄。」
 語気を荒げようとしたアキタをシバが止める。サイガの許で数日を過ごしたシバには、刺々しい言葉が彼なりの親愛と悲しみの表れだと判った。
(次代の為に命を賭すか…アイツと似た様な事をしやがって。オレは怒ってるんだからな、キシュウ)
 背中を向けて俯くサイガに、アキタもその心の内を察し、深々と頭を下げた。
「…ありがとう、ございました」
「…。
 そうだ、シバといったか。お前の奥歯にICチップを埋め込んでおいた」
「はっ!?」
 沈痛な空気の中、突拍子もない話にシバは頓狂な声を上げた。
「ここの構成員がセキュリティチェックに使っているものだ。そう頻繁に邪魔されても困るが、門前払いはしないでおく」
「…!」
--------
 プレッジハウンドへ帰る道すがら、キシュウの遺体を担いだトサが珍しく口を開く。
「…アキタ。お前はただの鉄砲玉で終わる器じゃない、これからのプレッジハウンドを背負って立つ男だ。俺には判る。
 だからよ…
 そんなに泣き虫じゃ、示しがつかんぞ」
「………」
 アキタの頬にはいつしか、涙が滂沱として流れていた。
 大決戦の特攻隊長として、シバとトサの頼るべき兄貴分として、ずっと張り詰めてきた緊張の糸はもはや擦り切れ、そこにはいつもキシュウに「泣き虫」とからかわれた心優しき青年アキタがいた。
「…ああ。きっと、笑われてるな…。」
 流れる涙もそのままに、アキタは昔のように微笑んだ。
「…トサ兄がそんなに喋るなんて、雨が降るな」
 茶化すシバの声も、震えていた。シバはぐいと目を擦り自分に言い聞かせた。
(俺は、俺はもう泣き尽くした。強くならなきゃ。強くなってアキ兄達を支えるんだ。キシュウさんにもらった命なんだから)

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組織について

Scar Beast (スカービースト;手負いの獣)

 主人公らが属する組織。心身のどこかに「傷」を持つ者達が、牙を研ぎ、生きる力を得るために寄り添う場所。組織員は動物の名前をコードネームとする。
 無目的な戦闘行為に明け暮れる小さな武装集団が溢れていた裏社会で、表社会からドロップアウトした人間にも安寧に生きる道があるべきだとし、自分達なりの秩序を作ろうと立ち上がった人物が初代ボスのレオ。彼とヒッポ(建築技師・メカニック)、プレッジハウンドから流れてきたキシュウの3人が手を組み結成された。
 「生きること、生きる道を作ること」が元来の理念であり、人を生かす生業のサイガと、仲間の死を見たくないと切望するディンゴが中心的な存在となっていったのは一種の必然といえる。
 廃ビルの一角に隠れたアジトは内部に複雑な機構を持ち、今なお改造が進められている。その真の姿は移動要塞である。
scar[英]…傷跡、心の傷

Pledge Hound (プレッジハウンド;誓いの猟犬)

 元々は任侠の志によって団結しようとする小規模な組織であったが、組織が拡大するにつれてその思想は薄れ、醜い掠奪行為や内部抗争が頻発。遂にはクーデターを起こして分裂し、幹部マスチフの名誉を守る為にキシュウは脱退。新幹部らに舎弟が付き従う形で構成されたそれぞれの組は卑劣な愚連隊へと成り下がった。
 第二世代ボルゾイ組の幹部補佐であったドーベルマンはキシュウと三人衆との一件の後、キシュウ追放の顛末を知り、腐敗した第二世代幹部を倒して組織本来の思想を取り戻そうと発起する。彼らにより第二世代の幹部達は倒され、構成員達は一から鍛え直され、新生プレッジハウンドとして生まれ変わる。
 そして新生プレッジハウンドはキシュウと共にドミナント・エイプとの決戦に臨む。
第一世代幹部
マスチフ、キシュウ、グレイハウンド
第二世代幹部
サモエド、ボルゾイ、ダルメシアン
第三世代幹部(新生プレッジハウンド)
バーナード、ハスキー、ドーベルマン
決戦後の幹部
ドーベルマン、アキタ

「背中を誇れ」

「仲間の前に立ち仁義を守る己の背中を誇りとせよ。敵に向けて逃げる背中は恥とせよ」という意味で、構成員は背中の中央、心臓の裏側に組織の紋章を刺青する。脱退する者はその部分の皮を剥ぎ取られ、組織に仇なした者はその刺青を一突きにされるという。キシュウは刺青を取り除いてはいない。
pledge[英]…固い約束、誓約/hound[英]…猟犬、犬
プレッジハウンドの紋章

Dominant Ape (ドミナント・エイプ)

 クローンと洗脳技術を駆使した非人道的な人海戦術で裏社会の金脈、人脈全てを支配しようとする巨大組織。その性質ゆえ敵は多いが、ことにプレッジハウンドはこの組織を仇敵とし、後に最終決戦を引き起こす。
dominant[英]…支配的な、最も有力な、優勢な

ヴァローナ

 遺棄・放置された武器を収集し売り捌くことを生業とする組織。光り物を集めることからヴァローナ(カラス)の名が付いたが、俗に「屑拾い」とも呼ばれている。
ворона[露]…カラス